北九州・小人の家の真相を考察【2024/03/21更新】
※一部記事を更新しました!
少し前に、YouTubeのほうで教えて頂いた北九州に存在すると言われている「小人の家」について調査していこうと思います。
動画化もしていますので、是非ご覧ください!
小人の家とは?
どうやら、「小人の家」は福岡県に存在しているみたいですね。
福岡県北九州にある(あった?)小人の家を調べてください すごい気味悪いって聞きました
少し調べてみると、一軒だけでなくいくつか同様の小さな建物が存在しているみたいです。
これはかなり昔の話なのですが「小人の家」と呼ばれる廃墟があり
「小人の家」は、100mx70m四方の範囲に家が7~8軒ほどあって、
周りは溝が掘られており、そこに入るには小さな橋を渡らなくてはいけません。
昼間に行ったのですが、異様な雰囲気と木々に覆われているせいか、
薄暗く、とても気持ち悪いです。
家は、ペンションの用な感じの造りですが、
入り口の扉が異様に小さく、100cmx50cm位だったと思います。
「またおいで!」と声が聞こえたなどの話がありました。
https://poisoncookie0208.com/951.html
付近ではちょっとした噂が存在していて、首つり自殺があったなど心霊スポットになっているみたいです。
残念ながら「小人の家」の写真はネット上に一切ありません。
それどころは地元の人にしか認知されていないみたいで、情報もそんなにないんですよね。
考察
・場所は?
福岡県のどこに「小人の家」はあるんでしょうか。
具体的な場所は書かれていませんが、河内貯水池付近に存在しているという書き込みがありました。
176 :本当にあった怖い名無し:04/08/17 23:02 ID:OhRSHMjakワチ貯水池そばにあった小人の家?について知っとるひとおしえて。
https://hobby5.5ch.net/test/read.cgi/occult/1090732823/l50
バイク買って逝けるようになった頃にはなくなってますた。
ちなみに俺はkワチ、hタ、mスブチでしょっちゅうバス釣りしよるけど
何も感じない。。。
あ、15年くらい前に3号線の海老津のトンネルでバイクに乗ってるときに
白い影みたいなのに追われたことがあるけどなんかあるんかな、あそこ。
しかし、以下の書き込みがあった2002年から15年ほど前に取り壊されてしまったみたいなんです。
186 :本当にあった怖い名無し:04/08/18 02:44 ID:Ff5xNR60>>180
https://hobby5.5ch.net/test/read.cgi/occult/1090732823/l50
小人の家・・・15年ほど前に壊されてサラ地になってマスタ。
姉から話(噂じゃなくレポート)を聞いていたんで。実物が見たかった。
このスレ見よって思い出したけど7~8年前ダチとに小倉南区の長野城跡
というところに車(MT車)で行ってたときに突然、ストールしたことが
あってさ。しばらくエンジン掛からんかったんやけど、しばらくして何事
もなかったように掛かってさ。「ケータイ圏外やしどーやってJAF呼ぼ
うかマジあせった」とか言って、いままで笑いのネタにしとったけどあれ
って今、考えれば幽霊!?これで成仏してくれとったらいいが。。。
幽霊、今まで気づかんですまそ。んで長文申し訳ありません。
今から30年以上前に壊されてしまったとなると、ネット上に写真がないのも頷けますね。
河内貯水池の歴史が書かれている資料を見つけたので、ちょっと確認してみましょう。
以下のように記載されているのを確認できました。
“I型鋼桁橋の水無第一橋・第二橋は現在、撤去されている。”
http://dobokore.jsce.or.jp/2014/_common/uploads/archive/hands082_kawachi.pdf
地図でいうと赤丸の部分です。更地になっているという風に書かれていたのでもしかしたらこの付近に存在していたのかもしれません。

- 何ために建てたのか?
ではこんな小さな家を何のために建てたのかって話ですよね。
ちょっと長いんですが、こちらをご覧ください。面倒だよって人は簡単にまとめるのでスルーしてください。
443 :小人の家:2001/05/22(火) 17:38昔、
15年くらい前かな?その頃はまだ今みたいに開けてなくって九州民芸村があってその上(
奥に)精神病院か施設かしらないけど
何かヤバい人たちがいる建物があったんだ。
俺は民芸村にバイトで週一回通ってたんだけど、そのときバスから見える変な家があった。
あ、山に向って左手の方ね。んで表札もついているけど誰も住んでいる気配がない。
しかも、二階建てで2階に入る直通の階段が外にある。(カンカンいうような階段)
でも、一番無気味なのは2階に窓らしきものがないことと玄関の
ドアノブが普通の大人のひざくらいの位置についていること。
いつもみんなで「なんでかなー?」って言ってた。444 :小人の家:2001/05/22(火) 17:44
そんでそこは「小人の家」って呼ばれてるって事を
八幡の人から聞いたんだけど誰もその由来を知らなかった。
それから、2年くらいたって俺は福岡に就職してそこで偶然北九州の人間とあって、
その話をしたんだよ。
そしたら、その男(仮にMとする)がいうには「あそこはせむしの画家が住んでたんだよ。
で、おれは高校の頃先輩と肝試しで行った事があるけど(そのころすでに人は住んでなかった)。
玄関から入ったら普通の家だけど蛇口も洗面台も流しも全てひざくらいの場所にあって、
2階にあがる階段がないんだよ。
で、外に出たら2階に上がる鉄の階段があったから上がってみて部屋に入ったら。445 :小人の家:2001/05/22(火) 17:52
部屋の中は座敷牢みたいに格子で仕切ってあって布団がひと組あった。
その布団にも壁にもべったりと血の乾いた後が付いてた。
おれはびびって逃げたけど。
後で聞いたらあそこに住んでいたせむしは頭のおかしい画家で「アトリエ」として
家を建ててもらったらしい。どう言ういきさつか知らないけどそこに女を誘い込んで監禁してたらしい。
女はもともとおかしかったのか、絶望でおかしくなったのかそこで首を切って自殺した。
布団の血はその時の物だよ。まあ、あそこはもともとおかしい(Bや、近親相姦の多い)所だったからな。」
と、いいました。これが小人の家の話です。
この間行ってみたら家は無く、遊歩道になって明るくなっていました。
いまでは元家のあった場所も解りません。
簡単にまとめます。
当時貯水池付近でに住んでいた方の証言です。
どうやら、「小人の家」はせむしの画家が住んでいた場所とのことなのです。
建物は玄関から入ると普通の家だけど、中にある家具は全て膝くらいの場所にある。
そして2階に上がる階段がないらしい、外に出たら2階に上がる鉄の階段があって上がってみると部屋がある。
そこには座敷牢のように格子で仕切ってあって布団が敷いてあった。
そしてそこら中に血痕があったらしい。
後で聞いた話によると、住んでいたせむしの画家は「小人の家」をアトリエとして建ててもらったらしい
そこに女性を監禁していて、その人が自殺した時の血痕が残ってるらしい。
あそこはもともと変な人が結構いたとのことなんです。
ちなみにせむしとは背筋の曲がった人のことを指します。
その方が利用しやすいように建てられた場所なんだとか。
かなり脚色された話ですが、貯水池付近にある怖い噂や地理的に見れば辻褄が合うんですよね。
ここで疑問なのが、貯水池の敷地内に個人的な家を建てるものなのかという話です。
先ほどちょっと触れた歴史資料を見ると、こちらの貯水池の所有者は八幡製鐵所(新日鉄)となっています。
もう少しこの貯水池のことを調べてみると、色々と普通とは違う建物が多く存在しているんです。
参考程度に少しだけ画像を載せておきますが、これ以外にも橋や壁などすごく洋風なつくりになっています。

どうやら、貯水池と周辺施設の設計にあたった方の方針だったみたいですね。
貯水池と周辺施設群の設計、施工の指揮にあたったのは、八幡製鐵所技師
の沼田尚徳であった。
沼田は、漢詩や書を嗜み、独自に美的感覚を磨く一方で、大正4(1915)年か
ら翌年にかけて英米に9ヶ月間滞在し、事例見学や文献の収集など当時英
米の最先端の技術や思想に触れていた。おそらくはそうした知識や体験を
通じて、土木構造物には高い水準でデザイン性やシンボル性が付与される
べきであるとの信念を持つに至ったと考えられる。その答えの一つが貯水
池と周辺施設群といえるであろう。
他のサイトでは、ヨーロッパの古城をイメージしたという記述もありました。
また、ヨーロッパの文化で庭に小さい家を建てるという風習があるみたいなんです。
ヨーロッパの方の雪が深くなる地方の、庭にある小さい家は、冬場に外で遊べない子供が人形遊びをする為に建てるんだよ。
北九州のやつもそれを真似て作ったやつなのかもね。
まとめ
まとめると、実際に「小人の家」と呼ばれる場所は存在していたんだと思います。
用途としては、体の不自由な方のために建てられた場所であるということです。
恐らく、現場に携わった画家なのか、何か契約をしていたのかはわかりませんが、景観を壊すことなく貯水家施設の一つとして当時は扱っていたんだと思います。
小人の家以外にもこの河内貯水池付近には面白い建造物がいくつも立っています。
その中には老朽化で廃墟となっている場所もありますので、「小人の家」もその一つだったのではないでしょうか。
2024/03/21更新
小人の家について再調査した結果、地元では河内貯水池付近に「小人の家」と呼ばれる廃墟が複数存在していたようです。
北側と南側で意見が分かれており、どちらも「小人の家」と呼ばれていたようです。
北側は以下の座標で、現在は資材置き場として利用されています。
33°50’31.3″N 130°48’35.2″E
外観は洋風で建物は複数、地元の人は「ちろりん村」と呼んでいたらしいです。
南側は以下の座標で、現在は空き地になっています。

一軒家で普通の家より少し小さい。家の中に小人がいる、家の中の本を開くと吸い込まれるという噂があったらしいです。
それぞれの当時の住宅地図を確認してみると、
北側は探石場(50年前)→資材置き場(40年前)→現在
というようになっており、当時この場所に建物があったのかは不明。
南側は別荘という表記になっており、恐らく噂されていた建物だと思われます。
他にももう少し別の場所にあったという情報もあり、建物の写真等が残されていないことから特定は困難になっています。
河内貯水池付近は廃墟の宝庫と呼ばれているそうで、当時から多くの廃墟が存在していました。
洋風な建物も多いことから当時も色々な噂が存在していたのではないかと思われます。
ネット発って雰囲気じゃなくて、かなりクラシックな、昭和それも中期あたりの怪奇映画っぽい想像力の生み出した都市伝説という感じがしますね。
文中のは河内、畑、鱒渕のことでしょうね。小人の家というのは聞いたことないですが河内貯水池の周囲には廃墟が多いです。近所の女学院の研修所が放置されているのと、幾つかよく分からない廃墟があります。廃墟はそれなりに不気味ですが、そもそも普通に昼間から人通りがあり飲食店やバスも通るところです。もっと言うと夜の河内は地元でも有名な心霊スポットなので廃墟の話が目立たないのは仕方ないかもしれませんね。ちなみに畑も結構な心霊スポットです。
ヨーロッパの文化で庭に小さい家を建てるという風習について、ガゼボ=東屋のような事例の文章を引用されて、こちらの可能性も有りますが
「小人の家」という名称と(もっともどの時点で出てきた呼称かは分からないですが)建物の描写やヨーロッパ古城をイメージしたという事からするとフォリーのような気もします。
休憩やそこから景色を楽しむ目的のあるガゼボとは違いフォリーは実用目的でない装飾目的のもので、小人や妖精の為の家を想定した趣向のものもあるのでまさに合致するかと思います。
これだった場合、そもそも廃墟ですらなく元から誰も住んでいないかせいぜい作業資材置き場を兼ねていたくらいかと。
そして個人的にはせむしの画家云々の話は地域差別的な記述も含む偏見臭さにあまり信憑性を感じないのですが。
私は近くの住民ですが、小学校の時に(1985年くらいの話)登山道を登る途中に、確かに小人の家がありました。
ハリボテ風の、かなり小さな家が数件。
子供の時に、小人の家だと指をさして山を登っていた記憶が鮮明に残っています。
現在は、完全に撤去されてその面影はありません。
小人の家の隣に、現在は廃墟になっている3階建か4階建のいわゆる民宿がありました。
ずいぶん昔は、河内貯水池で静養するのがおしゃれだったと聞いています。
娯楽の少ない時代です。
小人の家は、子供向けのテントのようなものだったと推測ができます。
ネットで写真を見つけたいところですが、当時は今みたいにいつでも写真が撮れる時代ではありません。記憶の中でしか、思い出すことができませんが、確かに小人の家は数件存在しました。
今から32年前、私が大学生の頃に、友人の運転するクルマで4人で実際に行った事があります。
かなり昔なので正確には覚えてませんが、河内貯水池の外周の道から細い道を入って行き、ゆっくり走ってすぐに着いた記憶があります。
なんか山のロッヂみたいに不規則に7軒くらい固まってあり、近くに幅3mくらいの渓流と小さな橋もありました。
2階建ての家もあった気がしますが、その高さは普通の平屋くらい。
普通の家をそのまま半分くらいの大きさにしたようなのが7軒ほど。
雰囲気が異様だったので家の中には入らず、眺めて見ただけですね。
今では貯水池外周の道のどのへんから入って行ったのか全く覚えてませんが、どちらにしろ、もう存在しないようですね。
コメ欄の体験談も含めて面白いね
本気で調べられれば所有者関係で詳しく知ってる人はいるんだろうね
私の地元にこんな場所が昔あったことは知りませんでしたが、
2000年前後にここら辺を訪れた時にも貯水池外周道路沿いには廃墟が
点在していた記憶があります。
因みにこのページの地図の赤丸に囲まれている部分は10年ほど前までバス通りでした。
ttps://www.nicovideo.jp/watch/sm10974252
↑動画の14:00辺りが赤丸に囲まれている場所です。
小川があり、その横は広場みたいになっているので、この広場の位置に
小人の家は建っていたのかもしれませんね。
小人の家の横に赤い橋があり、その赤い橋の真ん中夜中の2時にセーラー服を着たおかっぱの女の子の幽霊が出るとの噂がありましたよ。
おかっぱの女の子が小人の家の屋根の上に立っていたとの噂もあちこちと。
最近は、過去の航空写真が見られるサイトもあるけど…そういうのが残っていたりしないのかな?
国土地理院の地図・空中写真閲覧サイトで見てみました。
https://maps.gsi.go.jp/help/intro/looklist/2-nendai.html
残念ながら、河地貯水池周辺の2000年以前の空中写真データは、1945〜1950年(白黒で不鮮明)、1961〜1969年(白黒)、1974〜1979年の3種類しかありません。
「小人の家」は複数あって、北側は「山中に数件の小さな家が集まっているもの」、南側は「障がい者である画家のアトリエ?」ですよね。
肝心の1980年代のデータがないのですが、北側は1960年代から既に広範囲に森林が切り開かれ、1970年代の写真にも建物らしきものは見えません。
つぶろさんの調査結果どおり、探石場から資材置き場になって現在に至る、という感じではないでしょうか。
「実際に見た」というmさんさんや八幡西区民さんは、「登山道を登る途中」「貯水池外周の道から細い道に入る」とコメントされているので、記事にある座標(県道わき)ではなく、もっと細い道沿いではないかと思います。
バス停「登山口」から山に上がる道がかなりそれっぽいかな。
南側は、1960年代の写真では空き地で、1970年代の写真に家が1軒ぽつんと建っているのがわかります。
2001年には既に無かったとあるので、築30年足らずで壊してしまったのですね。
まあ、特殊な造りなので家の買い手もなく、そうせざるを得なかったのでしょうね。
https://mapps.gsi.go.jp/maplibSearch.do#1
こちらのサイトから過去の写真が確認できます。
南側の一軒家は1975年の写真にバッチリ写ってます。
北側の空き地も1994年の写真を見ると複数の建物が建っているように見えなくもないのでこれかな?
これすげー実物が気になる
“小人の家”なんて可愛らしいイメージしか湧かないのに、実際見た人達が口を揃えて怖い、不気味と称してる所が特に
a型チ。ョンの間違いだろ
監禁自殺云々は尾ひれの嘘だろうね
実在はしたと思う
数年ほど前のことですが、北九州産まれの友人と時々深夜に走りに来ていました。
ある日「廃墟が沢山あるから入ってみよう」と近くの旅館?廃墟などに案内され行きました。
昔の河内貯水池の写真やパンフレットやらがあり、それらを見た友人が「これ小人の家じゃねぇ〜?」と言っていました。
私は広島出身だったので小人の家については知らず、そういう心霊スポットがあるんだなぁと聞き流していました。
せむしの〜についてはすでに指摘のあるように
小さい家をみて想像された噂に過ぎないのでは…
根拠を提示した「洋風庭園を模したもの」まで明らかにしたのであれば、結論は装飾的家屋であり、実用はなされていなかった。
と解釈するほうが自然では。
差別的表現の強いせむしの〜を結論とするのはすでに風化した差別感情を再起させるようないささか軽率な記述ではないでしょうか。
怪談として、民俗としては面白くはありますが。
2021年に投稿したMです。
40年前の記憶なのでうる覚えですが、
皿倉山登山道の入り口付近に数棟あった記憶があります。
当時の遠足か子供会の活動の時に見たはず。
小人の家のお話が気になって、河内貯水池から近い場所が地元の友人に連絡してみました。
ちなみに私も友人も20代です。
私たちが生まれた頃にはとっくに取り壊されているはずなので、友人の両親に話を聞いてみたところ、河内貯水池の近くで何度も”小人の家”を目撃していると聞きました。
ただ”小人の家”としては認識しておらず、古くてハリボテ風味の小さな洋風建築が数軒並んでいるという風に認識していたみたいです。
少なくとも居住や休憩に使えるような実用性を感じる建物ではなかったとも話していました。
可愛らしい雰囲気はなく毎回不気味に感じていたとか。
まぁ心霊や都市伝説の云々以前に、静かな山の中に古くて小さな洋館並んでいる…となったら不気味に感じるのが当然といえば当然な気もします。
友人の両親ともにその近くで働いていたので、たびたび車で通る道に”小人の家”が建っていたそうですが、今ではすっかり存在を忘れていて気付いたらなくなっていたと話していました。
小人の家が一体いつから存在して、いつ無くなったのかもよく分からないそうです。
具体的な場所も確認してみましたが、小人の家付近には特に目ぼしい施設もなく、河内貯水池近くの道沿いにあった事くらいしか覚えてないそうです。
ただ「夜に通った時、小人の家周りにホタルが飛んでいて、幻想的に感じたことを覚えてる」といった話も聞いたので、他の方も推測されている通り田代川のほとりにあった可能性が高い気がします。
ちなみに今でも時期になるとホタルが飛ぶそうです。
余談ですが「そんな都市伝説になってるくらいなら、写真の一枚でも撮っておけばよかった!」と笑っていました。
当時の周辺には旅館やビヤガーデンにプールもあり、長閑な観光地として密かに賑わっていたみたいですね。
聞けば聞くほど一度現地に行きたくなってくる!
ということで、
先日実際に河内貯水池まで行ってきました。
まず息を呑んだのは、河内貯水池のシンボルともいえる切石積の堰堤(1927年完成)です。
ここの堰堤はヨーロッパの建築に強く影響を受けたという河内貯水池の設計技師・沼田尚徳さん(官営八幡製鐵所)によって建設されました。
山々の深い緑と広大な湖が広がる中、ヨーロッパの古城から着想を得たという長い堰堤が佇む様子は、ここが令和の日本である事を忘れるほどの美しさです。
他にも南河内橋やなど見所は満載で、日中に伺えば心霊スポットや都市伝説のイメージとはかけ離れた素晴らしい景勝地でした。
その日は暗くなるまで周辺を散策しましたが、
南河内橋の近くには女学院の研修所の廃墟(ほぼ取り壊し済)や、ペット斎場の真下には蔦に飲まれた3〜4階建ての廃墟があり、確かに異様な雰囲気を感じる一角もありました。
この蔦だらけの廃墟の入り口まで近付いてみたところ、散々に荒らされた形跡はありながらも、しっかり電気が通っていたのが印象的です。
かといって監視カメラが付いているわけでもなく、表に設置された電力メーターが現役でした。
中に入ったという方の投稿を見つけましたが、ホームレスが滞在していたような形跡や、やけにオシャレな新品の洋服が放置してあったりと、怪しい人の出入りがあるみたいなので(そもそも不法侵入なのでダメですが)入らない方が身の為かと思います。
ちなみに暗くなって帰る頃には廃墟入り口(1階?)の電気がついていてびっくりしました。
イタズラや侵入防止の為かとは思いますがちょっと怖かったです。
後日友人の両親から聞いた話ですが、ここはむかし河内荘?河内宿?といった名前で民宿として営業していたそうです。
Twitterにはこの廃墟も小人の家の一部だとする説がありましたが、流石に違いますね。
ちなみに周辺には樋口軒という和食屋さんや、やや道をそれた先に河内豆腐という豆腐屋さんも営業していました。
どちらも友人の母に勧められ伺いましたが、
これがとっても美味かった!お勧めです。
特に河内豆腐さんの絹豆腐や厚揚げが最高ですよ。
色々余計なレポートまで書いてしまいました。
すみません。
結論として、小人の家にあたる小さな洋風建築自体は過去に実在したはずです。
記事や他の方のコメントにも記述してある通り、装飾・景観の為に建てられたものではないかと推測しています。
ヨーロッパには子供用の遊び小屋であるレイキモッキや、フォリー(16世紀〜)など実用性を欠いた装飾用の建築を建てる文化があるので、ヨーロッパの建築に影響を受けたという沼田尚徳さんがそれらを参考に”小人の家”を手がけたのではないかという可能性を考えつつも、だとしたらそんな簡単に更地にするかなあ…?とも思います。
“せむしの画家”の存在については、周辺に閉業した九州民芸村や精神病院(今も営業しています)の存在を鑑みると、付近に実在していた可能性も考えられますが、女性を監禁していたとか、血まみれの布団が…といった話は与太話に過ぎないのではないでしょうか。
色々な推測が複合して誕生したのが”小人の家”の都市伝説なのかもしれませんね。
話は戻りますが河内貯水池の建設中に、沼田尚徳さんのお父さん、お母さん、お子さん…そして奥さんまでが、まるで貯水池の誕生と引き換えとでもいうかのように次々と亡くなっています。
こうして後世にまで残る素晴らしい建築を生み出した彼でしたが、きっととてつもなく深い悲しみを背負っていたのだろうとしみじみしました。
沼田さんは河内貯水池の完成後に付近の土地を自費で購入し、亡くなった奥様へ向けた石碑を残しています。
もちろん今も白山神社の付近で見ることが出来ます。
ただの都市伝説・心霊スポットでは済ましてはならない…河内貯水池には、そんな深い歴史の数々を感じました。