【都市伝説】犬鳴村の噂はどこからやってきたのか?考察【心霊スポット】
みなさんこんにちは。
今回は心霊スポットに関する記事です。
心霊スポットと言えばあの「犬鳴峠」ですが、犬鳴村という存在しないはずの村もネットでは噂になっております。
犬鳴村
心霊スポットといえば「犬鳴峠」
過去に悲惨な事件が起きたために、心霊スポットとして語られる地となった。
某心霊タレントも何度も語っているほどである。
しかし、もう1つ犬鳴という地には怖い噂が存在する。
その名も「犬鳴村」
この村は、現在では存在せず、ダムに沈んでしまった村である。
だが、今回紹介するのはダムに沈んだ村のことではない。
地図には載っていないが、現在に至るまで確かに存在していると言われているのだ。
村人以外の人間が足を踏み入ってしまえば、たちまちひどい目に遭うという。
近くには「日本国憲法は存在しない」という旨の看板が立っている。
今まで多くの心霊スポットマニアが捜索していたが、村は見つかっていない。
犬鳴村の噂
・犬鳴村の初出
犬鳴村に関しては、結構新しいようなイメージがありましたがネット上に存在する記録としては、1999年が最古のものです。
1 :名無しさん:1999/10/30(土) 19:21TV板で、こんな話がありました。
http://www.2ch.net/test/readall.cgi?bbs=tv&key=941202877
————————————————
1: 名前:むー 投稿日:1999/10/29(金) 22:14この中の犬鳴峠について書かれてるところが、ちょっとこわいです。
http://www.ntv.co.jp/FERC/request/req0454.html
「犬鳴峠について書かれている」 ページはアーカイブを確認しても閲覧することができませんが、同スレ内にコピペがありましたので引用します。
依頼主 匿名希望
タイトル 『日本に在って日本でない村』依頼内容
福岡県で犬鳴峠という地元ではとても有名な心霊スポットがあります。
私は心霊の類は一切信じないのですが、この地域はどうやら心霊だのなんだのを抜きにして非常に奇妙な場所のようなのです。犬鳴峠の、あるトンネルの横に普通では絶対見落としてしまうような畦道があります。その畦道を登っていくとどんどん道は狭くなっていきます。それでも上っていくと、なんと地図に載っていない村があるのです。畦道の途中には「この先、日本国憲法つうじません」といった旨の立て札もあるそうです。
ある夜、この村に行こうとした知り合いは、村の入り口(?)にプレハブ小屋を見つけました。ふと車を止めてそのプレハブを見ていると、いつのまにか4、5人の男が集まっていて、所謂キレた(イった)目でこっちを見ていたそうです。
彼らはすごい速さで車に近付いてきて、「これはヤバい!!!」と思った知り合いらは慌てて来た道(村の入り口は急に広くなるためUターンができる)を引き返したそうですが、車の後ろ部分は、斧のようなものでボロボロにされたそうです。また昼に村に行った別の知り合いは、昼には村には誰もいなくて、ボロボロの木
で戸を打ち付けられた家が何個かあって、広場(?)のような開けた場所に、島根ナンバーの白い車がグチャグチャになって放置されていたといいます。そういえば、以前、この地域で島根のカップルが行方不明になったという話がありました・・・。また、奇妙なことにその周辺では、どこのメーカーの携帯電話も圏外になるという奇妙な現象も起こります(私のもそうでした。)。また、未確認ですが、そこからもっとも近い某コンビニの公衆電話は110番が通じないとのことです。
ある人から聞いたのですがこの村は、警察や国家権力の介入ができない「特別なんとか保護(?)地域」なんだそうです。たしかに、地元ではとても有名な場所に関わらず、TV等の取材もなぜか峠止まりなのです。一説には、この村は江戸時代以前とても酷い差別を受けていていつからか外界との接触を一切断ち、その村だけで自給自足し、また女性の絶対数が少ないため近親相姦を繰り返し、遺伝的に危ない人になったのではという話もありますが、それは単なる憶測に過ぎません。
一刻も早い調査をお願いします。
最近、興味半分でこの地域に行く若者が急増しているのです・・・。進行状況 未調査
これは恐らく日テレに調査依頼がきており、それをHPに載せていたのだと思われます。
さて、上記のコピペには犬鳴村と明言されていないものの、現在流布されている犬鳴村の噂とほぼ一致します。
ただ、掲示板の書き込みを見てみると、以前から同様の噂を聞いたことがある人もいるようなので、正確な情報は分かりません。
少なくとも1988年の悲惨な事件によって犬鳴峠が心霊スポットとして有名になってから、犬鳴村の噂も生まれた可能性は高いです。
・犬鳴村は存在するのか
冒頭にも書いたとおり、「犬鳴村」は実在しました。
wikiにもそのことは詳細に書いており、正式名は犬鳴谷村と呼ばれていたそうです。
ですが、今回の犬鳴村とは実在した村のことではなく、あくまで現在、存在し続ける地図に載っていない村のことです。
以下のサイトにこのような情報がありました。
その後頂いた投稿情報によると、もともと「犬鳴峠付近には朝鮮人村があり、そこに近づく日本人は殺された」という噂があったようです。
江戸時代に被差別部落が存在したという噂もあるらしいですが、それに関してはwikiに存在しないという旨の情報が載っています。
他には、鳥飼かおる氏の「犬鳴村のうわさ ――「異界としての犬鳴」にまつわる一考察 ―― 」にてこのような情報がありました。
「筑豊の炭鉱地帯には、いくつもの地獄谷と呼ばれるところがある。そうした地獄谷には、きまってアリラン部落がある。大正時代に集中的に渡航して、炭鉱の周辺に住みついたものか、あるいは解放後に炭鉱から追い出されて、帰国もできずにいた朝鮮人が集まりスラム化したもので ある。(略)約二十八ヶ所の〔地獄谷または〕アリラン峠は、筑豊の地図には載っていない」(林, 1994,p. 52,〔 〕内は論者による補足)。
犬鳴峠とそう遠くない場所に、アリラン部落と呼ばれる、かつて炭鉱強制労働を行っていた朝鮮人の部落が存在していたという噂もあります。
ただ、筆者はこれに関してこのように言っています。
これらが「地図に載ってない、まぼろしのありらん峠」についての記述だ。少なくとも論者が 2013 年 9 月 16 日、18 日に犬鳴山に登り、調査した限りにおいては、「ありらん峠」または「ありらん部落」が存在していた/いない「証拠」を見い出すことはできなかった。
アリラン峠に関しては、以下のサイトにも情報が載せられています。
②三菱鯰田炭鉱碑
鯰田炭鉱跡地は飯塚市の鯰田小学校の東方にあり、そこに鯰田炭鉱碑があり、道端には三菱マークの杭が打たれている。
この鯰田から鴨生にむかって三菱専用の線路が引かれていた。鯰田小近くには朝鮮人の収容地があった。鴨生にも朝鮮人集落があり、小さな丘陵地は「アリラン峠」とよばれた。
こちらで書かれている部落の位置に関しては、犬鳴峠から約25kmほど離れており、少し遠いです。
結局何が言いたいかというと、本項の冒頭に書いた「犬鳴峠付近には朝鮮人村があった」という話は、あながち嘘ではなかったことです。
かつて犬鳴峠で起きた事件、犬鳴峠付近の事情などが合わさって、現在、噂され続けている「犬鳴村」が生まれたのかもしれません。
結論としては、犬鳴村は存在しない噂程度のレベルですが、それに纏わる話等はあながち嘘ではなく、犬鳴村の元ネタとなった可能性もあるということです。
ちなみに、これはネットの後追い情報になりますが、犬鳴村があると言われている場所は航空写真で閲覧可能ですが、何もないです。
数軒の住宅はあるようですが、村と呼ぶには小さすぎますし、確かに地図には村として載っていないでしょう。
あとがき
個人的に「日本国憲法が通じません」の看板は、不気味さがあって好きです。
今から20数年前に肝試しで、犬鳴に行った時に、迷って集落に入り込んだことがあります。そこで、立て札に「この先、罠あり、入るな」と書かれてあり、あそこは鹿やら猪も出るので、それに対してでしょうが、それに尾ひれがついたんじゃないかと思っています。
コメントありがとうございます。
なるほど、そういう説もありえますね。
肝試しをしているときにそういう看板を見かけると、やはり何かあるのではないかと疑ってしまいますよね。
自分も20年以上前行ったことありますよ〜
途中、鎌を持った老婆に遭遇したけど特になにも起きずw(おそらく山菜採りでしょう)
後に鎌を持った老婆に追いかけられる噂があるのを知りましたが、真相はこんなもんです。
集落自体は3〜4軒、家が建ってて、畑や陶器を焼く釜がありましたよ。
いろんな話を統合するに、犬鳴谷村の一部の住民が移住したのではないでしょうか?