犬鳴村・真相を考察【2021/08/28更新】

※動画化に伴い、記事を一部変更しました!

みなさんこんにちは。

今回は心霊スポットに関する記事です。

心霊スポットと言えばあの「犬鳴峠」ですが、犬鳴村という存在しないはずの村もネットでは噂になっております。

犬鳴村

心霊スポットといえば「犬鳴峠」

過去に悲惨な事件が起きたために、心霊スポットとして語られる地となった。

某心霊タレントも何度も語っているほどである。

しかし、もう1つ犬鳴という地には怖い噂が存在する。

その名も「犬鳴村」

この村は、現在では存在せず、ダムに沈んでしまった村である。

だが、今回紹介するのはダムに沈んだ村のことではない。

地図には載っていないが、現在に至るまで確かに存在していると言われているのだ。

村人以外の人間が足を踏み入ってしまえば、たちまちひどい目に遭うという。

近くには「日本国憲法は存在しない」という旨の看板が立っている。

今まで多くの心霊スポットマニアが捜索していたが、村は見つかっていない。

犬鳴村の噂

 ・犬鳴村の初出

犬鳴村に関しては、結構新しいようなイメージがありましたがネット上に存在する記録としては、1999年が最古のものです。

 1 :名無しさん:1999/10/30(土) 19:21TV板で、こんな話がありました。
http://www.2ch.net/test/readall.cgi?bbs=tv&key=941202877
————————————————
1: 名前:むー 投稿日:1999/10/29(金) 22:14

この中の犬鳴峠について書かれてるところが、ちょっとこわいです。

http://www.ntv.co.jp/FERC/request/req0454.html

引用https://piza.5ch.net/test/read.cgi/occult/941278892/

「犬鳴峠について書かれている」 ページはアーカイブを確認しても閲覧することができませんが、同スレ内にコピペがありましたので引用します。

 依頼主  匿名希望
タイトル 『日本に在って日本でない村』

依頼内容

福岡県で犬鳴峠という地元ではとても有名な心霊スポットがあります。
私は心霊の類は一切信じないのですが、この地域はどうやら心霊だのなんだのを抜きにして非常に奇妙な場所のようなのです。

犬鳴峠の、あるトンネルの横に普通では絶対見落としてしまうような畦道があります。その畦道を登っていくとどんどん道は狭くなっていきます。それでも上っていくと、なんと地図に載っていない村があるのです。畦道の途中には「この先、日本国憲法つうじません」といった旨の立て札もあるそうです。

ある夜、この村に行こうとした知り合いは、村の入り口(?)にプレハブ小屋を見つけました。ふと車を止めてそのプレハブを見ていると、いつのまにか4、5人の男が集まっていて、所謂キレた(イった)目でこっちを見ていたそうです。
彼らはすごい速さで車に近付いてきて、「これはヤバい!!!」と思った知り合いらは慌てて来た道(村の入り口は急に広くなるためUターンができる)を引き返したそうですが、車の後ろ部分は、斧のようなものでボロボロにされたそうです。

また昼に村に行った別の知り合いは、昼には村には誰もいなくて、ボロボロの木
で戸を打ち付けられた家が何個かあって、広場(?)のような開けた場所に、島根ナンバーの白い車がグチャグチャになって放置されていたといいます。そういえば、以前、この地域で島根のカップルが行方不明になったという話がありました・・・。

また、奇妙なことにその周辺では、どこのメーカーの携帯電話も圏外になるという奇妙な現象も起こります(私のもそうでした。)。また、未確認ですが、そこからもっとも近い某コンビニの公衆電話は110番が通じないとのことです。
ある人から聞いたのですがこの村は、警察や国家権力の介入ができない「特別なんとか保護(?)地域」なんだそうです。たしかに、地元ではとても有名な場所に関わらず、TV等の取材もなぜか峠止まりなのです。

一説には、この村は江戸時代以前とても酷い差別を受けていていつからか外界との接触を一切断ち、その村だけで自給自足し、また女性の絶対数が少ないため近親相姦を繰り返し、遺伝的に危ない人になったのではという話もありますが、それは単なる憶測に過ぎません。

一刻も早い調査をお願いします。
最近、興味半分でこの地域に行く若者が急増しているのです・・・。

進行状況 未調査

これは恐らく日テレに調査依頼がきており、それをHPに載せていたのだと思われます。

さて、上記のコピペには犬鳴村と明言されていないものの、現在流布されている犬鳴村の噂とほぼ一致します。

ただ、掲示板の書き込みを見てみると、以前から同様の噂を聞いたことがある人もいるようなので、正確な情報は分かりません。

少なくとも1988年の悲惨な事件によって犬鳴峠が心霊スポットとして有名になってから、犬鳴村の噂も生まれた可能性は高いです。

・犬鳴村は存在するのか

冒頭にも書いたとおり、「犬鳴村」は実在しました。

wikiにもそのことは詳細に書いており、正式名は犬鳴谷村と呼ばれていたそうです。

ですが、今回の犬鳴村とは実在した村のことではなく、あくまで現在、存在し続ける地図に載っていない村のことです。

以下のサイトにこのような情報がありました。

その後頂いた投稿情報によると、もともと「犬鳴峠付近には朝鮮人村があり、そこに近づく日本人は殺された」という噂があったようです。

鮫島事件、犬鳴村

江戸時代に被差別部落が存在したという噂もあるらしいですが、それに関してはwikiに存在しないという旨の情報が載っています。

他には、鳥飼かおる氏の「犬鳴村のうわさ ――「異界としての犬鳴」にまつわる一考察 ―― 」にてこのような情報がありました。

「筑豊の炭鉱地帯には、いくつもの地獄谷と呼ばれるところがある。そうした地獄谷には、きまってアリラン部落がある。大正時代に集中的に渡航して、炭鉱の周辺に住みついたものか、あるいは解放後に炭鉱から追い出されて、帰国もできずにいた朝鮮人が集まりスラム化したもので ある。(略)約二十八ヶ所の〔地獄谷または〕アリラン峠は、筑豊の地図には載っていない」(林, 1994,p. 52,〔 〕内は論者による補足)。

林えいだい(1994).『地図にないアリラン峠:強制連行の足跡をたどる旅』明石書店.

犬鳴峠とそう遠くない場所に、アリラン部落と呼ばれる、かつて炭鉱強制労働を行っていた朝鮮人の部落が存在していたという噂もあります。

ただ、筆者はこれに関してこのように言っています。

これらが「地図に載ってない、まぼろしのありらん峠」についての記述だ。少なくとも論者が 2013 年 9 月 16 日、18 日に犬鳴山に登り、調査した限りにおいては、「ありらん峠」または「ありらん部落」が存在していた/いない「証拠」を見い出すことはできなかった。

アリラン峠に関しては、以下のサイトにも情報が載せられています。

②三菱鯰田炭鉱碑

鯰田炭鉱跡地は飯塚市の鯰田小学校の東方にあり、そこに鯰田炭鉱碑があり、道端には三菱マークの杭が打たれている。

この鯰田から鴨生にむかって三菱専用の線路が引かれていた。鯰田小近くには朝鮮人の収容地があった。鴨生にも朝鮮人集落があり、小さな丘陵地は「アリラン峠」とよばれた。

http://www.pacohama.sakura.ne.jp/kyosei/tikuhou.html

こちらで書かれている部落の位置に関しては、犬鳴峠から約25kmほど離れており、少し遠いです。

結局何が言いたいかというと、本項の冒頭に書いた「犬鳴峠付近には朝鮮人村があった」という話は、あながち嘘ではなかったことです。

かつて犬鳴峠で起きた事件、犬鳴峠付近の事情などが合わさって、現在、噂され続けている「犬鳴村」が生まれたのかもしれません。

結論としては、犬鳴村は存在しない噂程度のレベルですが、それに纏わる話等はあながち嘘ではなく、犬鳴村の元ネタとなった可能性もあるということです。

ちなみに、これはネットの後追い情報になりますが、犬鳴村があると言われている場所は航空写真で閲覧可能ですが、何もないです。

数軒の住宅はあるようですが、村と呼ぶには小さすぎますし、確かに地図には村として載っていないでしょう。

2021/08/28更新

新たに情報を頂いたのでご紹介します。

20年以上前ですが、新犬鳴トンネルの入り口横から旧犬鳴トンネルに行く道があり、その道を行くと途中Y字路を左後ろに行くと旧犬鳴トンネル、真っ直ぐに行くと村がありました。

でも、当時何軒かの住居はありましたし、田んぼもありました。その村に行くと、鎌を持った老人から追いかけられるとか噂がありました。旧犬鳴トンネルのほうは心霊スポットとして有名でした。

犬鳴村と呼ばれていた集落が、20年以上前には存在していたという話です。

この噂が本当なのか調べていきましょう。

新犬鳴トンネルに行く道の脇に、旧犬鳴トンネルに向かう道が続いていますが、途中で道が別れています。

旧犬鳴トンネル側に行かず、このまま真っ直ぐ進むと建物らしきものが確認できまして、確かに田んぼもあります。

確かに、マップ上には何も書かれていませんが、航空写真を見ると村らしきものが確認できます。

ここが例の犬鳴村でしょう。

この村について調べてみると、どうやら「柳原集落」と呼ばれていることが分かりました。

確かにグーグルマップに「柳原」なる地名は出てきませんが、地理院地図で確認してみると、確かに「柳原」という地名が存在しているのが分かります。

この「柳原集落」ですが、2000年代は住民の方がいらっしゃったようで、実際に訪れた人のサイトにはこのような記載がありました。

犬鳴隧道から柳ヶ原集落へ向かう道と林道の合流地点には、ゲートが設置してあった。

柳ヶ原集落は現在廃村になりかけてはいるものの、心霊スポット目当ての不法侵入に対する策としてか元住民の方が犬を放し飼いにしているようだ。

犬が放し飼いされているということで、当然ですが、住民の方は不法侵入する人に対して良く思っていないようですね。

以上のことから情報を頂いた「犬鳴村」らしき村は「柳原集落」であることが分かります。

次に、記事内では「アリラン峠」が元になっているのではないか、と結論づけました。

しかし、今回旧犬鳴トンネルについて調べてみると、興味深い情報が掲載されたサイトがあったのでこれを元に少し考えてみます。

一部引用します。

第二次世界大戦の激化に伴い、この宮田・若宮より福岡に直接行く道として軍部により旧犬鳴トンネルが計画されました。即ち軍用道路としての犬鳴トンネルです。

当然軍用道路ですから地元にはすべて内密で行われた様です。

作業員として韓国の人々が従事していた、という事。韓国の人々の飯場小屋は現在の犬鳴ダムの下、清水の滝に行く途中の段々になった所にあったという事です。

又一部はっきりと欧米人とわかる戦争捕虜の人々が宮田の捕虜収容所(捕虜で宮田の石炭採掘にあたる人々を収容していた)より建設作業にやってきた、との事です。

http://fuji.pro.tok2.com/inuton.html

犬鳴ダムの下辺りに韓国人の飯場小屋、工員が宿泊するための施設が形成されていたようで、さらに、軍事利用のため、建設工事については地元民には内密だったようです。

つまり、外部から遮断された異国の人間が作業する場所が「旧犬鳴トンネル」だったというわけです。

犬鳴村が生まれる前の噂「犬鳴峠付近には朝鮮人村があり、そこに近づく日本人は殺された」にある「朝鮮人村」というのは、韓国人の工員が宿泊する飯場のことだったのではないでしょうか?

さすがに殺された、というのは嘘だと思いますが、軍事機密の工事だったので侵入者は厳しく対処されたのは事実かもしれません。

また、犬鳴村の噂にも、侵入者を排除するような噂と、日本国憲法が通用しない、という噂が存在しますよね。

日本国憲法が通用しないというのは、ちょっと無理やりかもしれませんが、外国人ばかりを起用していたため、ここだけ日本ではないのではないか、という発想から来ているのかもしれません。

上記を踏まえて考えると、犬鳴村に纏わる都市伝説は、あながち根も葉もない噂とは言い切れず、旧犬鳴トンネルの建設工事の件から来た話という可能性も大いにあります。

あとがき

個人的に「日本国憲法が通じません」の看板は、不気味さがあって好きです。

犬鳴村・真相を考察【2021/08/28更新】” に対して3件のコメントがあります。

  1. 634 より:

    今から20数年前に肝試しで、犬鳴に行った時に、迷って集落に入り込んだことがあります。そこで、立て札に「この先、罠あり、入るな」と書かれてあり、あそこは鹿やら猪も出るので、それに対してでしょうが、それに尾ひれがついたんじゃないかと思っています。

    1. thetuburo より:

      コメントありがとうございます。
      なるほど、そういう説もありえますね。
      肝試しをしているときにそういう看板を見かけると、やはり何かあるのではないかと疑ってしまいますよね。

  2. sss より:

    自分も20年以上前行ったことありますよ〜
    途中、鎌を持った老婆に遭遇したけど特になにも起きずw(おそらく山菜採りでしょう)
    後に鎌を持った老婆に追いかけられる噂があるのを知りましたが、真相はこんなもんです。

    集落自体は3〜4軒、家が建ってて、畑や陶器を焼く釜がありましたよ。
    いろんな話を統合するに、犬鳴谷村の一部の住民が移住したのではないでしょうか?

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