廃墟「男塾」の正体について【2025/06/26更新】

・2025/06/26記事を更新しました

今回は「男塾」と呼ばれる廃墟の正体について、調査していきます。

動画化もされていますので、こちらもぜひ

男塾

千葉県銚子市の犬吠埼という場所に、かつて「男塾」と呼ばれる廃墟が存在していました。

詳しい廃墟の概要は廃墟サイトに記載があります。

犬吠埼の伝説的廃墟

男塾は、千葉県銚子市にあった廃屋の通称。犬吠埼灯台のすぐそばに位置する。

1967(昭和42)年4月に建設された木造2階建ての小規模建築で、朽ち果てた状態で剣道具などが残っていたことから「男塾」の通称が付けられた。

その正体について「陸上自衛隊の宿舎跡」「政治家を育てる分校」などの噂があったが、実際は「日本善行会」(にほんぜんこうかい)の青少年研修所「東京政経塾犬吠崎分校」だった。「日本善行会」とは、主にボランティア活動等の支援や推進、表彰事業を実施している社団法人である。

通称「男塾」は1980(昭和55)年9月に閉鎖された後、1990年頃から廃墟としてよく知られた存在となり、2012年頃までは残存したが、2015年までに解体された。末期には1階は骨組みだけしか残らない半壊状態だった。

石碑のみが残る。

https://haikyo.info/s/682.html

上記のサイトには、廃墟「男塾」の正体について以下のように書かれています。

「日本善行会」(にほんぜんこうかい)の青少年研修所「東京政経塾犬吠崎分校」

一見、廃墟の詳細が判明しているように思えますが、少し不可解な点があります。

どういうことかといいますと、この「日本善行会」と「東京政経塾」というのは全く別の団体になっています。

そうなると、一体廃墟「男塾」の正体はどっちなのかという話になるわけです。

ということで、今回は「男塾」の正体について調査していきましょう。

情報の出所

おそらく廃墟サイトに掲載されている情報は、個人ブログを参考にして書き込まれています。

まず、2009年に書かれた個人ブログにて、「東京政経塾」関連の施設であるとの言及があります。

結局この物件が何故「男塾」と呼ばれていたのか判らず…。

ただし其の後の調査で、この建物が「東○政○塾」の

関係施設らしいという事が判ってきました。(図書館資料による)

https://mindtravel.web.fc2.com/tiba/ti-a2.html

しかし、どんな資料だったのかについては言及されておらず、本当にそのような記載があった
のかどうかは不明です。

次に2012年頃に書かれた調査記事に「日本善行会」の施設であったとの言及があります。

さて、最後に”子供向けの研修施設”って噂を検証。結果から言うとコレビンゴでした、歴史も結構古くて遡ると戦前から続いている団体の研修施設。まずはその母体の詳細を以下より。

ウィキペディア – 社団法人日本善行会

まあこんな団体です、活動記録にも残ってるけど1967年に「青少年健全育成活動を強化し、青少年研修所を開設」ってのがこの「男塾」なのでした、その後1980年9月閉鎖。2012年現在30年以上放置された結果、この男塾なる廃墟を生み出す所以と成った訳です。

https://ameblo.jp/6blogs/entry-11220090509.html

地元の方の協力を得て「日本善行会」の施設にたどり着いたとの記載がありました。

日本善行会のHPにも記載があったようで、以下のように書かれています。

昭和42年4月
青少年健全育成活動を強化し、青少年研修所を開設(銚子市)。昭和55年9月閉鎖。駅をきれいにする運動。

https://www.zenkoukai.or.jp/outline.htm

これらの情報が廃墟サイトには混同して記載されており、

「日本善行会」の青少年研修所「東京政経塾犬吠崎分校」

ということになっているようです。

となると、これらの情報が本当に正しいのかどうかも怪しいということになります。

銚子市へ

てなわけで、廃墟「男塾」の真の正体を探るべく銚子市へと向かいました。

まずは、当時の建物の情報を調べるために、住宅地図を確認してみます。

銚子公正図書館には、最古の昭和42年の住宅地図が所蔵されています。

日本善行会のHPには、昭和42年4月に研修所を開設とありますので、ここに記載があるはずです。

しかし、昭和42年の住宅地図には男塾の表示がありません。

そこで、図書館に存在している男塾が現役だった時代の住宅地図を確認してみたところ

1971年 A屋別荘

1973年 M亭別荘

という表記になっていました。

A屋、M亭というのは男塾付近に存在してた観光センターです。

ちょうど赤線の場所に密集していました。

この時点で、1967年~1980年まで善行会の研修施設であったという説は間違いである可能性が高そうです。

では、別荘というのは一体何だったのかということになるわけですが、住宅地図に表記されていた「A屋」さんが現在でも営業しているようなので、行ってみることにしました。

昼食に鉄火丼をいただいた後に従業員の方に「男塾」について訪ねてみたところ

・元々はこの辺の旅館が寮として使っていた場所だ

ということでした。

年によっては「A屋」「M亭」と名称が異なっていましたので、おそらく周辺の観光センターで利用されていた寮であったと思われます。

ただ、完全に「善行会」の施設であったことが否定されたわけではありません。

というのも、男塾の登記を確認したところ、昭和42年新築となっています。

その後、建物は昭和46年に所有権が移転しています。

つまり、男塾は

初代男塾 1967~1970年

2代目男塾 1971~2013年(取り壊し)

で使用用途が別れているということになります。

2代目男塾に関しては1971年以降、前述した観光センターに所有権が渡っていますので、施設従業員の寮であったということで間違いないと思われます。

ただ初代男塾に関してですが、銚子公正図書館には1967年と1971年の住宅地図しか所蔵されていないため、ちょうど初代男塾の記載がない時期となっています。

国会図書館に1970年の住宅地図が所蔵されているようなので、こちらはまた後日確認してまいります。

追加情報

1970年の住宅地図を確認してきました。

建物には「日本善行会」の表記はなく、「A屋別荘」という表記になっており、1971年の住宅地図に表記されていた名称と同じです。

建物は登記上から1971年12月に所有権がM亭に移転していましたので、それ以前は前の所有者の名前であるということになります。

つまり、初代男塾の正体は「A屋別荘」ということで間違いなさそうです。

日本善行会の施設でもなければ、東京政経塾関連の施設でもなかったというのが真相になります。

この「A屋別荘」というのが具体的にどんな用途で使用されていたのかという話になりますが、元々旅館の客室だったのではないかと推測します。

こちらで詳しく解説していますので、気になる方はぜひ。

廃墟「男塾」の正体について【2025/06/26更新】” に対して1件のコメントがあります。

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