茨城の廃墟「埜口住宅」-11軒の廃墟群に残された謎を追う
今回は、謎の廃墟群「埜口住宅」について調査していきます。
動画化もされていますので、こちらもぜひ。
異様な光景 – 埜口住宅とは?
埜口住宅は、稲敷市江戸崎地区、かつてのパチンコ店の裏手あたりに位置する廃墟群です。
私が確認した情報や現地の状況から、10軒ほどの平屋賃貸住宅と、大家さんのものと思われる2階建て住宅、合わせて11軒の家屋で構成されていたようです。
一部では「江戸崎の現代の廃村」とも呼ばれ、異様な雰囲気を放っています。
廃墟サイト「haikyo.info」にも掲載されており、それによると1974年~1978年頃に建設され、2階建ての家は1992年、他の民家は1996年~2003年の間に無人化したとされています。
埜口住宅は茨城県稲敷市江戸崎の廃屋群。
パチンコ金馬車の裏手で、10軒の小さな平屋の賃貸住宅と大家のものらしい2階建ての住宅、合わせて11軒の民家が廃墟化している。
道路沿いに並ぶ7軒については賃貸住宅で間違いないが、奥側4軒のうち大家宅を除く3軒は関連がはっきりしない。
建物としては1974~1978年頃に作られ、2階建ての家は1992年、他の民家は1996年~2003年の間に無人化したらしい。田浦の現代の廃村(ゴーストタウンT)を彷彿させる廃屋群である。
草木に埋もれている上、水はけが悪いらしく、道や駐車場だったらしい場所は沼地のようになり、建物も自然風化とも人為的破壊ともつかない劣化が進み、腐食が酷く、不法投棄も見られる。
2019年11月時点ですべての家が現存するが、敷地内は非常に深い藪に覆われ、近付くことさえ困難になっていた。
その後も草木に埋もれるままになっていたが、2025年4月現在、敷地内が刈払いされてなんらかの作業が行われている。近く解体される可能性がある。
なお、パチンコ屋の金馬車江戸崎店は2016年2月からキコーナ江戸崎店にリニューアルしている。
https://haikyo.info/s/10925.html
現地の状況 – 放置された生活の痕跡
私が以前、ストリートビューで確認した際(2014年頃)は、かろうじて建物の形がわかる程度でしたが、2023年の画像では完全に草木に覆われ、道から姿を確認するのも困難な状態でした。

しかし、今回私が訪れた際には、周辺で道路工事が行われていた影響か、草木がある程度刈り払われており、以前よりは建物の様子をうかがうことができました。
とはいえ、敷地内には大量のゴミが散乱し、荒廃は進んでいます。
水はけも相当悪いようで、かつての通路や駐車場はぬかるみ、建物の腐食もかなり進んでいる印象でした。不法投棄も多いようです。
なぜ奇妙なのか? – 残された生活感
この埜口住宅が特に奇妙と言われる所以は、その廃墟のありさまにあります。というのも書籍「怖い噂 VOL.4」には、内部調査の様子が記されていました。
そこには、子供の勉強机やアルバム、食器や調味料といった生活用品が、まるで住人がついさっきまで使っていたかのように、そのままの状態で残されていたと書かれています。
驚くべきことに、仏壇まで手つかずで置かれていたとのこと。まさに「何かに追われ、体一つで逃げ出したかのよう」な光景だったそうです。

さらに奇妙な点として、全11戸のうち、内部が比較的綺麗だったのはわずか2戸のみで、残りの9戸には、まるで住人だけが忽然と姿を消したかのように、生々しい生活の痕跡が残されていたとあります。
廃墟に残置物があるのは珍しくありませんが、これだけ多くの家で、同時に、そしてこれほど生活感のある状態で放置されているというのは、確かに尋常ではありません。
調査で見えた背景 – 町営住宅としての可能性
一体これらの建物は何で、なぜこのような状態になったのでしょうか?今回の調査と、視聴者の方からいただいた情報を整理すると、次のような背景が見えてきました。
- 土地の歴史:
- 登記情報を確認したところ、この土地は1975年(昭和50年)にN氏という方が購入し、宅地に変更されていました。おそらくこの時期に住宅が建設されたのでしょう。
- その後、2006年(平成18年)にN氏の親族の方へ贈与されています。N氏はこの頃に亡くなられたと考えられます。
- そして、2023年(令和5年)には別の方(個人)に所有権が移っていました。近い将来、取り壊される可能性も考えられます。
- 建物の正体:
- 視聴者の方からのコメントで、「茨城県には生活困窮者向けに市町村が貸し出す『町営住宅』が多く、埜口住宅もその一つではないか」という情報をいただきました。
- 町営住宅は、家賃を抑える代わりに建物自体の耐久性はあまり高くない場合があり、住民の入れ替わりも比較的多い傾向にあるようです。
- 実際に稲敷市のHPを確認したところ、市営住宅として個人所有の住宅を借り上げ、貸し出しているケースがあることがわかりました。
- 廃墟化の経緯(考察):
- これらの情報から推測すると、埜口住宅は、大家兼管理人であったN氏が、生活困窮者向けに町(市)を通じて貸し出していた住宅だった可能性が高いです。
- 2005年の住宅地図には、10軒中8軒に入居者と思われる個人名が記載されていましたが、その時点で既に人の気配はなかったという情報もあります。
- 2006年前後に大家であるN氏が亡くなられたことで、管理者が不在となり、住民の方々は退去せざるを得なくなったのではないでしょうか。
- 生活困窮者であった住民の方々にとって、引っ越し費用や家財道具の処分費用を捻出することは困難だったため、N氏の親族(相続人)の許可、あるいは黙認のもと、多くの物を残したまま、やむを得ず退去した…というのが、あの異様な光景の真相に近いのかもしれません。
- 比較的綺麗だった2戸については、住宅地図の情報とも照らし合わせると、N氏が亡くなる前から空き家だった可能性が考えられます。
大家であったN氏は、別の場所に立派なご自宅を構え、工務店も経営されていました。
住民の子供たちが大家さんの家に遊びに行っていたという話もあり、住民からは慕われていた方だったのかもしれません。N氏の死が、この廃墟群が生まれる直接的な引き金になったことは間違いなさそうです。
まとめと考察
今回の調査で、埜口住宅は生活困窮者向けの町営住宅(個人所有の借り上げ住宅)であり、大家さんの死をきっかけに管理が行き届かなくなり、経済的な理由から住民が家財道具を置いたまま退去し、結果として廃墟になった可能性が高いと思われます。
まるで住民全員が一斉に夜逃げしたかのような奇妙な光景。その裏には、大家さんの死という悲しい出来事と、生活に困窮する住民たちの切実な事情が隠されていたのかもしれません。
参考情報: