【怪事件】SOS遭難事件は本当にミステリー事件なのか?当時の報道を追う【考察】
みなさんこんにちは。
今回は未解決(?)事件に関する記事です。
この手の話題になれば、必ずといっていいほど名前が挙がるあの事件。
SOS遭難事件
当時、とある山で遭難事件が起こった。
現場付近には、「SOS」と大きく木で描かれていたことから、遭難者はすぐに救出された。
しかし、木でSOSの文字を作ったのは救出された遭難者ではないと言うのだ。
捜索が続けられ、なんと白骨遺体がSOSの周囲から発見された。
この遺体が、この事件をミステリー事件と言わしめる所以になった。
遺体の所有物には、ラジオがあり、そのテープには救助を求める声が入っていたのだ。
「SOS、助けてくれ、崖の上で身動きが取れない」
このラジオテープの音声は男性のものだったのだが、当時の報道では遺骨は女性の可能性が高いと言われた。
また、SOSの文字は一文字数メートルにも及ぶ大規模なもので、倒木を利用して作られていたという。
体力を消耗している遭難者が作れるとは思えない規模であり、この文字は一体誰が作ったのだろうか。
ラジオでは崖の上で身動きが取れないと言っていたが、遭難者は山の頂上から降りたところで遺体となって発見されている。
これはどういうことなのだろうか?
謎が謎を呼ぶ遭難事件だが、未だにネットでは語られることが多い怪事件の1つである。
考察
さて、この事件に関してはご存じの方が多いでしょう。
実は調べれば分かる通り、大まかな謎は全て解決されております。
本記事では、なぜこの遭難事故がミステリー事件と呼ばれるようになったのか、また不可解だった点の補足をまとめていきます。
・遺骨問題
一応、事故が起きた日付を書いておくと、1989年7月24日に文字が発見され、白骨痛いもその後に発見されました。
しかしながら、当時の報道は白骨遺体は女性のものであると報道されたのです。
1989年7月30日の毎日新聞にて、警察は遺留品と行方不明者リストから1984年に遭難した男性であると予測しましたが、鑑定の結果は女性のものだったと報道されていました。
遺留品はすでに遺族側が男性会社員のものであると確認が取れており、遺体だけが見つかっていないという報道のされ方だったようです。
そして同年8月4日、捜索が打ち切られました。(この時も遺骨は性別不明だとされていた)
その日から2年後に遺骨は全て1人分のもので、遭難していた男性会社員のものだったという報道がありました。
参考元のサイトを見る限り、新聞に小さく載っていた程度だったようです。
恐らくこの遺骨問題が、SOS遭難事故が、ミステリーだと言われるようになった理由だと思われます。
遺骨が判明するまで二年という長い期間を要したことと、当時そこまで大きく報道されなかったことから、人々に事件の不気味さが根付いていったのでしょう。
参考
https://web.archive.org/web/20130319233844/http://www.chanbara.jp/sos/mai03
・ラジオの録音は何のために?
多くのサイトで語られていますが、「SOS助けてくれ」となぜ録音したのか、という疑問があります。
あたかも不可解なように書かれていますが、理由は単純な気がします。
体力の消耗を避けるため、大声を出し続けるよりもラジオで流した方が良いという判断をしたのでしょう。
当時の報道としては、録音されたテープから声がこだましているように聞こえるので、スイッチが押されるなどして偶然録音されたのではないか、とのことでした。
ちなみに以下が文字起こしで、途中で二度の中断があったそうです。(合計2分17秒)
がけの上で身動きとれず
SOS 助けてくれ
がけの上で身動きとれず
SOS 助けてくれ
場所は初めにヘリに会ったところ
笹深く上へは行けない
ここからつり上げてくれ
参考
・録音された音声と場所の相違
冒頭の怪談パート(笑)でも書いたように、実は遺体発見現場と、録音で話していた内容は相違点があります。
遺体が発見されたのは湿原だったのですが、録音では崖の上で身動きが取れないと話していました。
一体なぜなのでしょうか?
これに関しては以下のサイトが詳しく考察されていましたので要点を絞って書いていきます。
https://web.archive.org/web/20090228202219/http://www.geocities.jp/yuu495/sosjiken/
遭難者が、遭難してしまう理由として、下山の目印となる岩があります。
しかし、似たような岩がもう1つありその岩を目印にしてしまうと遭難ポイントまでやってきてしまうわけです。
さて、ニセ金庫岩を目印に、遭難者は下山してしまいました。
そして以下の場所で発見されます。(図中の十字)
地理院地図より引用
がけマークについて
https://www.gsi.go.jp/KIDS/map-sign-tizukigou-h13-03-01gake.htm
地図記号を見てみれば一目瞭然ですが、周囲は川か崖だったのです。
また、笹深く上へは行けないと録音で話していた通り、上も下も笹地マークがついていますね。
このことから、録音した場所と矛盾しませんので、何らおかしいことではないです。
・SOSを作ったのは誰か
この倒木でできたSOSですが、地理院地図の航空写真に映っていたようです。
「SOS」の文字は林野庁と国土地理院が地図作成のため昭和六十二年九月二十日に撮影した航空写真に写っていることが二十八日、わかった。
この写真は、上空約三千七百メートルの地点から撮影したもの。写真では、「SOS」の文字の幅は約〇・九ミリ。最初の”S”はやや不鮮明でわかりづらいが、最後の”S”は確認できる。写真ではほとんど気がつかない程度だが、肉眼でははっきりわかったという。同庁などは五年ごとに航空写真を撮っている。1989年7月28日 毎日新聞
https://web.archive.org/web/20130320000809/http://www.chanbara.jp/sos/mai06
1987年に撮影されたもので、遺体発見の2年ほど前で、遭難してから3年後のものです。
1984年 男性会社員遭難
1987年 航空写真にてSOSの文字が撮影される。
1989年 遺体発見 SOSの文字も発見される。
SOSの近くで男性が見つかったこと、そして録音にも「SOS」という語句があったことから、1984年に遭難した男性が作った可能性が高いです。
多くのサイトで、この文字を作る体力があるならなぜ下山しなかったのかという意見がありますが、あの状況で下山は無理です。
周囲は崖で、戻ろうにも標高1000mで、笹が生い茂っている山を昇るのは難しいでしょう。
録音されていた通り、「がけの上で、身動きがとれず」だったわけで、こうするしかなかったのだと思います。
まとめ
この事件がなぜここまで語り継がれてきたのか、それは当時の遺骨に関する報道が2年もの間、不明瞭だったことと、ラジオの音声が強烈だったことから、多くの人の記憶に不気味な事件として刻まれたからだと言えます。
その他にも不可解だと言われていることが多々ありますが、現在ではほとんどが解明されており、ミステリー事件ではなく、悲惨な遭難事故でした。
SOSの文字を見つけるのが数年早ければどうなっていたのでしょうか、考えれば考えるほど悔やまれる事故でしたね。
白骨痛いて