オチョバンバの石碑・真相を考察【2024更新】
※2024/12/22記事を更新しました!
今回はとある石碑について調査していきたいと思います!
動画化もされていますので、こちらもよろしくお願いします!
オチョバンバの石碑
神奈川県にある、奇妙な石碑の話をご存知でしょうか?
その名も「オチョバンバの石碑」といいます。
実際の写真がこちら。
作の後ろに小さな石碑のようなものが見えるかと思いますが、この石碑が「オチョバンバの石碑」です。
この石碑に関して、このような噂があります。
「お千代と呼ばれた老婆がこの場所で亡くなり、地元の人が憐れんで石碑を立てた」「しかし、その石碑にお千代の怨念が宿ってしまい、石碑に触れるだけで祟られるようになってしまった」と言われています。
また、この石碑の背後にある建物が、普通の工場となっており、周囲を囲うブロック塀は工場の敷地内を囲うためだと考えられます。
工場を建設する際に移動したり、取り壊したりすることができなかったのか、と思うのですがこの石碑を避けて建設しなければいけない「理由」があったのでしょう。
さて、今回はこの「オチョバンバの石碑」について、詳しく噂を調べるとともに石碑の真相を追っていきましょう。
考察
オチョバンバの石碑について、詳しい場所はどこかというと、神奈川県の茅ヶ崎市に存在していたようです。
工場を囲うブロック塀に沿うように砂利道が続いているのですが、この先に石碑がポツンと立っています。
噂についてですが、かなり有名な石碑のようで、いくつか書き込みが見つかりました。
古い工場の塀の影にオチョバンバと呼ばれる供養塔らしき石碑がある。文献を調べてみたが、かなり怨念のある石碑らしく触れてはいない」という情報がありました。
また、隣接する工場の人に話しを聞いたという人もいまして、土地を買う際に石碑のことは聞いていたそうです。
石碑には、遺骨が入っているわけでもなく、行き倒れになった老婆の慰霊碑とのこと。
さらに、供養のために訪れる人もいたようです。
ブロック塀が石碑を避けるように設置されていたのは、土地の所有者からの要望だったみたいですね。
ここまでの噂があるなら、本当に祟られるのでは、と思ってしまいますが、実際に現地に訪れて調査してくださった方がいらっしゃいますので、まずはそちらを紹介します。
Theつぶろ掲示板に、「オカルト追跡実行部隊」というスレばあるのですが、ここで実際に現地にいったよ、という方が書き込んでくださいます。
その中に、オチョバンバの石碑を見に行った方がいらっしゃいました。
2021年10月に訪れたそうで、なんとびっくり、更になっていたそうです。
石碑どころか、隣接している工場もなくなっていたそうです。
しかしながら、石碑は近くのお寺に引き取られて今も健在のようです。
無地移動できたということは、「触ったら必ず祟られる」という噂に関してはデマのようです。
移動後の写真はこちら。
かつてはポツンと一つだけ立っていたオチョバンバの石碑ですが、今は他の石碑とともに供養されているようですね。
また、郷土資料も確認してきてくださったそうで、なんとオチョバンバの石碑についての記録が残っていたそうです。
資料によれば、お千代さんは、とあるお堂の管理者でいたずらをする子供を叱りつけていたとのことで、よくいる「怖いおばあちゃん」だったようですね。
オコリバンバと呼ばれていたようで、この呼名と「お千代」という名前を合わせてオチョバンバと名付けられたのでしょうかね。
亡くなられてから約200年も経っているのですが、「オチョバンバ」の名が今も残っていると考えると、ちょっと感慨深いですね。
そして、先程お千代さんは、とあるお堂の管理者と言いましたが、そのお堂というのが、移動先の場所のことだったそうで、かつてオコリバンバが守っていた場所に帰れたというわけです。
さらに補足になるのですが、私の方でも少しだけ得られた情報があるので、最後にご紹介します。
知恵袋にて、オチョバンバについての文献を引用しているかたがいらっしゃいました。
ここから分かるのが、この石碑は「触れると怒りをふるわれる」という噂があったということ、そして石碑があった土地に元々は了覚院のものだったということです。
了覚院は、石碑の移動先のお堂、つまりオチョバンバが管理していたお堂です。
工場に売られる前は、この土地もオチョバンバが管理していた土地だったというわけです。
石碑を立てたのは、オチョバンバが管理していたお堂の関係者でしょう。
噂に関しても、「触れたらお千代さんに怒られる」程度のものだったようで、そこまで怖い祟ではなさそうです。
それにしても、亡くなった後に石碑を立ててもらえるとは、お千代さんの人柄がよく分かるような気がしますね。
2024年更新
現在、移転した石碑の隣に案内板が設置されたという情報を教えていただきましたので、追記いたします。
元々あった場所から2019年5月24日に了党庵(阿弥陀堂)に移されてから、最近になって案内板が設置されたようです。
内容は以下の通り。
オチョ・バンバ(お千代・婆ば)又は、オコリ・バンバ(虎狼病・阿波)
辻町の大橋精機製作所の裏に小さな無縁供養塔があります。江戸時代、関東に虎狼病(コ ロリ、現コレラ)と言う疫病が流行りました。
1822年(文政5年) 参勤交代で江戸に来ていた、松平隠岐守が役目を終えて江戸から帰 路の道中、東海道の小田原宿に差し掛かる頃から次々とお供の侍達がこの病に罹り、吐瀉 する者や十数人が死亡する大事件が起きました。
渦中、苦悩している重臣にお供の一人から、道中の噂話で聞いた相模国円蔵村に住む真 光庵(大日堂)の堂守りのお婆(老婆)が、信仰している奈良の三輪大明神の神札、阿波 (アンバ) さまにお願いして、この虎狼病(コロリ)に罹った者を治したそうだと聞き、早 連お婆が小田原陣屋に呼ばれて数日間祈祷した結果、病も薄れそして全快したので、喜ん だ殿様から大層なるお褒めの言葉と、ご褒美を頂いたと伝えられています。その後、一行 は無事国元に道中下りをしたと言われています。
そのお姿は亡くなり家督も無く没落したので、土地に緑の合った屋号麹屋の六代目 高橋 文右衛門が不憫に思い秀信女菩薩(すぐれた仏のような女性)として、お墓を建てたと言 われています。
円蔵の伝承話(オチョ・バンバの石碑)
こちらでは、虎狼病(コロリ)・阿波 (アンバ)=オコリ・バンバとする説についても書かれています。
最後の引用文の「オコリをフルワレル」ですがこちらの意味かもしれません。
> おこり【瘧】
〘名〙 (「起こり」の意) 間欠熱の一種。悪寒、発熱が、隔日または毎日時を定めておこる病気。マラリア性の熱病。ぎゃく。えやみ。おこりやまい。おこりやみ。《季・夏》
ありがとうございます!確かにそちらの意味っぽいですね…!
つぶろさんの所には珍しい、円満解決のほのぼのとした話だ・・・
オチヨバンバの話が誰が言い出したのか地元の話と違います、円蔵村領主横山氏が建立した真光院の堂守りの婆ばが参勤交代の帰路疫病、虎狼痢(コロリ)現在のコレラにかかった大名行列の侍達を治したことで知られています、お婆が亡くなり家督も没落したので不憫に思って土地に縁が有った人がこの無縁供養搭に秀信女菩薩(優れた仏のような女性)として建てたそうです、今は字も風雨で消されて読みにくくなっていますが事実と違うことが広がっているのでお知らせします。もう
石碑の案内板だと、文政5年(1822年)に、松平隠岐守の大名行列が通りかかったようですね
私もつい最近行ってきました、了覚院に有りました、墓石の横に詳しく書いた説明文が立っていました同感です。
個人的に気になっていたネタだったので、ウワサの発生から2023年のコメントまで凄く参考になりました。ありがとう。